粕取焼酎とは

粕取焼酎の歴史

焼酎最古の記録は、1546年に薩摩山川に上陸したポルトガル商人、ジョルジェ・アリバレスによって米の焼酎があつたと記されていることが、最も古い記録と言われています。その
焼酎のルーツとも言われている泡盛は、1462年に琉球へ漂着した朝鮮の肖得誠ら8人が記した『李朝実録』の中で那覇港に酒を納める倉庫があり、「清・濁の酒が大きな甕にあふれていた」とあります。この清という酒は、味は朝鮮の焼酎に似た南蛮酒であったと言われており、これが泡盛だと推定されています。

また、1559年には、薩摩の大口の郡山八幡の神社に「神社の座主が大変なケチで焼酎を一度も振舞つてくれなかった」という落書きが残されていたので、この頃から焼酎造りがはじめられていたと言われています。

琉球と薩摩は、この頃「あや船」という交易船によって何度も交流し、1515年の琉球からの進物には「唐焼酎一甕、老酒一甕、焼酎一甕」という贈答品があり、この「焼酎」は「泡盛」であったと考えられています。

16世紀前半、室町時代には大陸から蒸留技術が伝わり、この頃が「日本本土での焼酎幕開け時代の到来」と言えます。
日本本土への焼酎の伝播ルートは、
①インドシナ半島から琉球経路説
②中国大陸から朝鮮半島、対馬、壱岐経路説
③中国南部から東シナ海を経て直接九州に伝播した説
④中国雲南省から福建省を経て琉球経路説
以上のように4つの伝播ルート説があると言われています。
現在は、この中でも①のインドシナ・琉球経路説が有力と言われているが、定かではありません。

さて、粕取焼酎の蒸留技術は、江戸初期に九州北部から全国へ広がったとされていますが、その伝播ルートの確証は謎のままです。その中でも、粕取焼酎は大宰府天満宮を中心に全国の天満宮の神領田、山口県防府天満宮、京都市北野天満富などで広がったと言われており、農学者の宮崎安貞が「農業全書」(1697年)の中でその製法を広めたと伝えられていますが、近江商人が北前船で各地に酒造りを広めたという説が濃厚です。

その製法とは「打ち水をして数カ月熟成させた酒粕に籾穀を混ぜ、固体醪に蒸気を通すことによつてアルコール分を抽出するというもの」で、中国の白酒(パイチュウ)に近い造り方の酒です。白酒の製造には、米や高梁、トウモロコシ、ジャガイモなどをレンガ状の固体醪にして、酵母を繁殖させて、蒸気を通しやすくするために籾穀や落花生の穀を混ぜて、甑(こしき)を用いて蒸して蒸留します。このように、粕取焼酎は極めて中国の白酒と似た蒸留技術を用いていることがわかります。

特に、正調粕取焼酎と言われる焼酎は、兜釜式蒸留という製法で、蒸籠を使った蒸留法で造られ、酒粕に籾殻を混ぜた固体形を蒸留してアルコール分を冷やして液体に戻すというシンプルな製法です。

これは、中国浙江省や福建省の酒造方法も同じで、古くは13世紀の中国・雲南省の「蒸し」を応用した蒸留技術から来ていると言われています。また、日本における正調粕取焼酎は、16世紀に蒸留技術が中国大陸から伝来していたとされ、江戸時代初期の農業振興とともに栄えました。すなわち、人口増大とともに農業生産拡大 > 肥料の需要 > 酒粕(下粕)の需要 > 米づくり、という江戸時代の循環型農業に深い関わりを持っていたことがわかります。

江戸時代初期には、「柱焼酎」と言つて日本酒の伝統的製法として、醸造する日本酒の形や上槽した新酒に焼酎を入れ、味を調える技法が用いられました。この柱焼酎には、粕取焼酎が用いられたと言われています。

17世紀後半に刊行された『童蒙酒造記』(1687年推定)には「焼酒取様之故」(焼酎製造法)の一節があり、当時の酒造の本場兵庫県伊丹市で自ら「鴻池流」と言って、正調粕取焼酎の製造法が記されていました。また、1697年に刊行された江戸時代の本草書『本朝食鑑」に「焼酎は新酒の粕を蒸籠で蒸留して取る」とあり、清酒が醸造される地域で焼酎と言えば、粕取焼酎のことでした。このように17世紀後半には、江戸時代の鎖国政策による「農業生産拡大」「食糧確保」の目的を達成するためにも、米づくりや野菜づくりのための蒸留粕(下粕)が必要で、日本酒の蔵元が粕取焼酎を蒸留していたことが伺われるのです。

正調粕取焼酎は、前述に記したように固体醪を蒸して蒸留したものだが、他の米や芋や麦、琉球の泡盛などは、醪取焼酎と言って各家庭の米や雑穀などを水で仕込んだ醪を発酵させて蒸留し、焼酎を造りました。雑菌の繁殖により醪が腐敗するなどの難点があっりましたが、米づくりの少なかった薩摩は、18世紀以降、サツマイモと麹で移を造るなどして芋焼酎の製法のパリエーションを増やしていったのです。1991年鹿児島・田苑栗源酒造の酒蔵から元禄時代の焼酎造りを書き残した古文書が発見され、それは酒粕を使った昔の技法「辛蒸」という製法で「清酒を搾ったあとの酒粕を使った発酵、蒸留する」という“柱焼酎"のものでそた。鹿児島では、芋焼酎がほとんどであるが、戦前までは米焼酎も30%くらいは飲まれており、それは兜釜式蒸留であったと言われています。

また、前記の吟醸粕取焼酎は、粕醪取焼酎(かすもろみとりしょうちゅう)の製法でつくられています。これは酒粕を水に溶かしたものに酒母を加えて醪を造り、それを発酵させた後、蒸留したものです。粕取焼酎と異なるのは、醪を造って発酵させるというところです。完成した焼酎は、粕取焼酎と似た風味を持ちながら、一般的には粕取焼酎より飲みやすいと言われているので、現在の粕取焼酎、または酒粕焼酎は、ほとんどがこの蒸留法でつくられています。

最近では酒粕か変敗酒(品質劣化した清酒)を原料にした常圧蒸留ではなく、清酒の吟醸粕を減圧蒸留した粕取焼酎も造られ、従来の正調粕取焼酎と違う香りの強い焼酎が人気になっています。

さて、明治28年(1895年)頃には、イギリスからイギリスから連続式蒸留機が輸入されたことにより、焼酎業界に革命が起きました。それまでは、製造に単式蒸留器を用いて焼酎乙類のみを製造していたが、連続式蒸留機の登場により、高純度アルコールを安価に大量生産できるようになったのです。これが焼酎甲類です。明治43年(1919年)には、「連続式蒸留器で作られた製品を任意アルコール度数に和水したものを焼酎とする」ということが決定。この製法のものは「新式焼酎」として広まっていき、今までの焼酎は「十日式焼酎」と呼ばれるようになりました。
また、この技術革新の時代に、雑菌の繁殖により醪が腐敗するといった、醪取焼酎の難点も改善されています。そして大正時代初期。新式焼酎の流行と清酒の腐造により、醪取焼酎は全国各地で製造されるようになったのです。

そんな粕取焼酎も、昭和の戦後の物資の乏しかった日本では「闇市」が横行、その時に出回つていた粗悪な密造酒を俗称として「カストリ」と呼んでいた時期がありました。これは、当時流行したエログロナンセンスな低俗な雑誌を「カストリ雑誌」と呼んでいたことから、これとカストリ焼酎と混同させて呼ばれてしまつた汚名があり、年配の人の中には未だにそのイメージを引きづつている人も多いのが事実です。
しかし、昨今は日本酒の純米や吟醸酒ブームが、香りの非常に良い酒粕を造り出し、折からの酒粕の健康効果も手伝って、そうした悪いイメージを払拭しました。吟醸粕取焼酎として、現在は約170もの日本酒蔵が粕取焼酎を生産、販売するようになったのです。また、より通な左党の人は、その中でも個性豊かな正調粕取焼酎を好む人もおり、粕取焼酎の多様性を楽しめるようになったのはうれしい限りです。

粕取焼酎の製造過程

正調粕取焼酎

粕取焼酎には、大きく分けると「正調粕取焼酎」と「吟醸(謬)粕取焼酎」の二つの蒸留法に分かれるが、「正調粕取焼酎」というジャンルの言葉の由来は、「九州焼酎探検隊―粕取まぼるし探偵団」に詳しいので省略しますが、もともとは、福岡県の大宰府天満宮の神領田の所在地、筑後平野を中心に広まっていったとされる「早苗饗焼酎」のことです。
「早菌饗焼酎」は、酒粕に籾穀を混ぜて蒸籠で蒸留する、兜釜式蒸留の製法で行いますが、その籾殻の匂いが強烈な癖の強いものとなるので、好き嫌いがはつきり分かれる粕取焼酎です。この筑後平野独特の文化「早苗饗焼酎」を地元で復活させたのが株式会社社の蔵で、「弥久」という銘柄で製造、販売しています。この焼酎は、蒸籠の上に銅カブトをかぶせてつくられたこだわりの逸品です。
もともと、早苗饗焼酎は田植えが終わった後、夏の暑い盛りに飲むので「盆焼酎」とも呼ばれています。初夏の日は、ちょうど梅酒を漬ける時期と重なるので、この早苗饗焼酎を使つて梅酒を漬ける風習もまだ筑後平野には残っています。米を作って、日本酒を造り、酒粕と籾裁で焼酎を造り、焼酎粕の下粕を肥料にしてまた米作りをすると言った、江戸・明治時代の筑後平野の循環型農業を再現した株式会社社の蔵の試みは、SDGsが叫ばれる今の時代にふさわしい取組なのです。こうした正調和取焼酎の製法で蒸留している蔵元は、今ではこの福岡をはじめ、佐賀、長崎、大分、島根、会津、栃木など、全国で20社ほどしか残っていない貴重な存在です。こうした個性的な焼酎を、日本の酒文化を守っていくためにも、ぜひ手に入れて味わってみてください。

写真:株式会社杜の蔵より

吟醸粕(酵)取焼酎

日本の焼酎は、まず米麹か麦麹と水の混合物に酒母を加えて発酵させ、酪をつくり(―次仕込み)、これに主原料の蒸した米、麦、甘藷、蕎麦、黒糖を仕込み発酵させて(二次仕込み)それを蒸留する醪取焼酎がほとんどです。(まれに、泡盛のように全麹仕込みの一度で醪をつくって蒸留する酒もあります。)
最近の粕取焼酎は、ほとんどが酒粕を原材料とした醪取焼酎であり、香りを重視した低温減圧蒸留で造られたものが多くなっています。吟醸(謬)粕取焼酎とは、原材料の酒粕を水に溶かしたものに酒母を加えて酵を造り、それ有発酵させ蒸留した焼酎のことを言います。味わい、香りともに日本酒に近い酒で糖類ゼロ、プリン体ゼロの酒として最近にわかに人気が高まっています。減圧蒸留は、香りは残るが、味わいは淡麗でキレのあるのが特長です。
原料に使用する酒粕は、吟醸、大吟醸、純米、山廃、本醸造など、蔵元によつてさまざまです。基本的には、酒粕と水のみで醪を造るが、たまに米麹を入れるところや、電子イオン交換技法によって発酵させるところもあります。
近年では、樽貯蔵や長期熟成させるものも多く、それぞれの蔵元で風味や香りが違うのでその特色を楽しむのもおすすめです。人海醸造株式会社の「面向未来」のように雪室貯蔵をして販売している商品もあり、吟醸(醪)粕取焼酎の新しい展開に期待しています。

写真:八海醸造株式会社より